はきものの起源

はじめに

田下駄から宇宙靴まで

はじめて米作りを知った私たちの先祖―
未明の月が、夕べの月が働く彼らを照らした足にはく、田下駄をてらした
二千年たった 月は変わらない 夜空を渡って 地上を照らす
だが、その月には人間の足あとが、宇宙靴の足あとが残る
―田下駄から宇宙靴まで人間と共に、はきものも、そのながい歴史をもつ


2号館展示室
人々の暮らしとはきもの

労働とはきもの

  われわれの祖先は、はきものを「フット・ギアー―足につける道具―」として、さまざまな労働の能率をあげるための工夫をこらしてきた。農耕・漁撈“ぎょろ う”・狩猟などにおいて、耕作を容易にし、冷たい水の中での作業を助けるなど、機能性にあふれた多くのはきものがみられる。

田畑のはきもの

 わが国は、古くから稲作を中心とした農業をいとなんできた。静岡市の登呂遺跡などの弥生時代の遺跡からは、すでに大足やナンバなどの田下駄が出土しており、それらは昭和にいたるまで用いられている。
 また、野菜や果物などを栽培する畑作でも、地域色豊かな工夫がみられた。

【田のはきもの】

オオアシ(枠大型田下駄)
枠を組んで足をのせる板を付けたオオアシ(大足)は、田植え前に、肥料の草や小枝を踏み込み田面をならす、代踏みに用いられることが多かった。これは広島県高野町のものである。

ダイカンジキ(台付き田下駄)
新潟県黒埼町では、信濃川の増水による水害を受けることが多く、冠水した田の稲刈りをするために、台を付けて高くした田下駄を工夫していた。底には沈まないように4本の細い板が付けてある。

ナンバ(板型田下駄)
横長の板にあけた穴に縄紐を通して、足に結び付けて、深田の稲刈りに用いられた。これは静岡市登呂遺跡の出土品のレプリカである。

【畑のはきもの】

株きり下駄
秋田県東成瀬村のもので下駄の裏に鉄製の刃物がつけてある。これで稲刈りが終わった田を歩いて、絡み合った古い切り株の根を切った。こうして、春の田起こ しに備えたのであるが、大変な重労働で鼻緒だけでなく長い縄紐でしっかり足に結び付けて使用された。

ボクリ(踏鋤下駄)
粘土質のかたい地面の畑を耕す踏鋤を踏む時、足裏を痛めないように、踏む方の足につけた。神奈川県三浦半島で昭和25年頃まで使用された。

水辺のはきもの

 海にかこまれた河川の豊かなわが国では、漁業や海苔養殖など、水辺での労働も多かった。
 水でぬれた舟の中で足を踏みしめて作業する、水中で足を冷やさないようにする、また背丈を補うなどの工夫をしたはきものがみられた。

ナンバオケ(足桶)
野菜洗いや芹摘みなど、寒さの厳しい時の水中の仕事に用いられた。これは、滋賀県琵琶湖岸で肥料のヘドロすくいに履かれたもので、底裏に歯を付けて泥離れをよくしてある。

タチコミ(海苔下駄)
海苔養殖場で、胸まで海水に浸ってひび立てをする時に使用された。これは東京湾で使用されたもので、高さ2メートル近いものもあった。

雪国のはきもの

 東北地方や北海道は世界でも有数の豪雪地帯である。雪国の人々の、すばらしいアイデアを生かしたはきものがみられる。水に強く保湿性に富む稲わらで編んだ多種類のわら沓(くつ)や雪にそなえた工夫をした雪下駄のほか、雪踏みや山行きのためのはきものもみられる。

かんじき
雪に埋まったり凍った雪で滑ったりしないために用いる。竹や小枝を曲げた輪型のものや、竹片などを並べて縄で結んだすだれ編み型のものなどがある。輪型のものには、輪が1本の単輪型、2本の複輪型がある。

タケカンジキ(大型かんじき)
山間部などの豪雪地帯では、雪踏みに大型のかんじきが用いられた。これは、富山県利賀村のもので、長さ120センチもあり、明治時代から昭和40年代まで使用された。

フミダラ(雪踏み俵)
稲わらや蒲を編んだ俵で、新雪を踏んで道をつけるのに用いられた。底に下駄などを付けたものもある。これは秋田県平鹿町のもので、底にわら沓が付けてある。

職人達のはきもの

 かつては、町や村には、さまざまな生活用品を作ることを専門とした職人が、必ずといっていいほどいた。彼らも、また、それぞれの作業に応じて、はきものに工夫をこらしている。良い品を能率よく作ろうという努力が、はきものを通してもみられる。

トコゲタ(和綱生産の床下駄)
島根県の和綱“タタラ”をつくる高殿(製鉄小屋)の熱い床で火傷しないために使用された。杉やヒノキの厚板の裏を彫ってあり、安定のよいつくりになっている。

チャッキリゲタ(茶切り下駄)
奈良県北東地域の大和茶の産地で使用されたもので、歯先をとがらせた樫の三枚歯の高下駄。これで乾いた茶の葉を細かく刻み、茶臼でひいて抹茶を作った。


日常生活のはきもの

草鞋“わらじ”と草履“ぞうり”

 中国大陸や朝鮮半島の植物繊維を編んで作った草鞋(わらくつ)から、平安時代に、わが国特有の鼻緒はきものとして生まれた。
 長い緒で足にしばりつけてはく草鞋は旅や労働に、鼻緒を足にかけてはく草履は、日常のはきものとして用いられることが多かった。

【草鞋“わらじ”】

ムシャワラジ(武者草鞋)
爪先に前緒をつけた切緒草鞋で、緒が着れたら付け替えることができた。
これは江戸時代武士が旅に用いたものである。

オオウチワラジ(大内草鞋)
毛三里ともいわれ、裏に長く編み残した毛があると、三里余分に歩けるという。山口市のもので、領主大内氏にあやかってこの名がつき、誕生や結婚などの贈物にもされた。

【草履“ぞうり”】

藁草履“わらぞうり”
草履の素材として最も多いのは稲わらである。藁草履には、前緒を別に作ってすげる「すげ緒草履」と、引いた芯縄をそのまま前緒とする「共緒草履」とがあ る。前者は日常用に、後者は労働用にされることが多いが、地方による違いもみられる。

セッタ(木皮草履)
ケヤキの樹皮で作った草履で、山村に多くみられた。これは、青森県津軽地方のもので、天明年間(18世紀)の飢饉の時作られたといい、大正頃まで用いられたという。

革張り草履
全体を皮革で包んだ草履で、牛や山羊、トカゲなどの革が用いられた。昭和10年頃に出現したものである。

重ね草履
竹皮草履を何枚か重ねて縫い合わせたもので、江戸時代中頃流行した。これは20枚重ねてあり、おいらんの上履きに用いられた。

“くつ”と足袋“たび”

  雪国のはきものとして藁沓“わらぐつ”がある。これは藁草履“わらぞうり”や草鞋“わらじ”を基本として、それに爪掛け“つまかけ”や甲覆い“こうおお い”を加えたもので、鼻緒がある「くつ」といえる。また、広げた皮の上に足をのせ、周囲を持ち上げて足を包み込み、縁に穴をあけ紐を通して締めるのが皮沓 “かわぐつ”であるが、ヒールが無く底が柔らかで足に密着し、足袋に近いはきものであった。足袋は最初は皮で作られていて、木綿の足袋ができたのは江戸時 代になってからである。

【藁沓“わらぐつ”】

バクタロウ(深沓)
深沓はわらの長靴である。筒部の長さは15センチから、長いものでは60センチ近いものもあり、おもに残雪の歩行に用いられた。これは富山県利賀村のものである。

ツマゴワラジ(爪掛沓)
爪掛沓は、草履や草鞋に、爪先をおおうわらの爪掛けを付けた雪沓である。足指に力が入り脱げにくいので労働や山行きに適している。これは広島県豊松村のものである。

【足袋“たび”】

ヒネリタビ(直足袋)
直足袋は、草鞋などと合わせて、労働に用いられた。これは、宮崎県高千穂町のもので、麻を編んでおり、足半草履とともに履かれた。

ひも足袋
甲布につけた紐で足首に結び付ける足袋で、鎌倉時代に皮製のものが出現した。これは、江戸時代武士の正装に用いられたものである。

【皮沓“かわぐつ”】

チェップケリ(鮭皮沓)
鮭の皮を剥いで靴形に整え、長時間乾かして作ったもので、背びれが滑り止めになる。アイヌ民族が、大正頃まで、雪中の狩猟などに用いた。これは北海道白老町のものである。

タビグツ(足袋沓)
革で足袋のような形に作った沓である。滋賀県浅井町の鍛冶屋の主人が江戸末期、雪中の得意先回りに履いたもので、底全体に鉄鋲が打ってある。

下駄

 下駄の歴史は古い。古墳時代の遺跡からは、すでに出土しており、豪族の墓には石製模造品も副葬されていた。
 江戸時代になると、漆塗りや表付きのものなども作られ、天候により履き分けられるようになる。
 昭和30年頃まで最も一般的なはきものとして用いられてきた。

連歯“れんし”下駄
台と歯を1つの木から切り出した二枚歯のものである。もっとも日常的な下駄であるが、漆を塗ったり表を付けたりした外出用もある。下駄とか駒下駄と呼ばれることが多い。

ぽっくり下駄
ぽっくり下駄は歩く時の音から付けられた名前で、関東ではポックリ、関西ではコッポリと呼ばれることが多い。これは京都の舞妓が履くもので、オコボと呼ばれる。

端棒“はなぼう”下駄
歯を付けず逆凹型に切り出した台に、端棒と呼ぶ親指と人差し指ではさむ短い棒を付けたものである。遠出には向かないが、庭歩きなどに用いられ、同じタイプのものが東南アジアやアフリカなどにもある。これは黒漆を塗った庭下駄である。

中刳り“なかぐり”下駄
歯を付けず台裏を刳り込んだもので、江戸時代に流行した。これは、春慶ぬりの台に鋲どめの竹皮表が付き、長いビロードの鼻緒をすげた江戸末期のもので、女性の外出用であった。

天反り“てんそり”下駄
昭和の初めに靴の影響を受けて作られた台が曲線的になるもの。これは、シュースと呼ばれた。


信仰・行事とはきもの

信仰と儀礼

 太古の昔から、日本人は豊作や平安を祈って、四季を通じて祭りを行ってきた。また、社寺への信仰もあつく、多くの儀式を生んできた。そういう祭りや儀式、人が生まれて死ぬまでの人生儀礼などには、願いや祈りを込めたはきものがみられた。

ニカイゾウリ(二階草履)
東京都下伊豆七島の青ヶ島で、好きな人に贈った。「二人が一緒になれる」ようにと、台が2枚重なった形に編んである。

奉納大草鞋“ほうのうおおわらじ”
五穀豊穣や家内安全を祈るため、青森県岩木山神社に奉納された大草鞋で、長さ5.25メートルもある。各地に、こういった大草鞋を奉納する風習が残っている。

サシカケ(差懸)
奈良市の東大寺の二月堂で行われるお水取り行事に練行僧が堂内で履く板下駄。しかし、参拝客にはこの下駄は見えないで、床を打つ音だけが聞こえる。

【葬式のはきもの】

ゲゲエ(下々草履)
ゲゲとは「粗末な」という意味で、中世から伝わる古い伝承をもつ草履である。これは打たない稲わらで簡単に作ってあり、一度だけ使うようにしてある。島根県横田町で葬式に用いられていた。


貴族・武士のはきもの

貴族と武将たち

 古くから中国大陸や朝鮮半島の影響をうけており、はきものには閉塞的な「くつ」がはかれていた。
 儀式などには地位によってはきものが定められ、あるものは今日まで引きつがれている。

【貴族のはきもの】

線鞋“せんかい”(複製)
鞋は植物繊維で作った短ぐつをいい、線鞋は絹繊維で作られる。これは、山形の爪先に花柄の刺繍がしてあり、繍線鞋(ぬいのせんがい)と呼ばれた。宮中での女官の上履きであった。類似のものがシルクロードのトルファンから出土している。

金銅製履“こんどうせいのくつ”(複製)
古墳時代に墳墓に副葬されたもので、これは奈良県の藤ノ木古墳から出土したものの復元品である。類似のものが朝鮮半島にあり、日本では熊本県などから出土している。

【武士のはきもの】

物射沓“ものいぐつ”
黒漆をぬった革長靴で、畳表と印伝革(いんでんがわ)の立てあげ(脛部)がつく。平安時代の馬上靴が変化したもので、狩りや流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)などに用いられた。

“つらぬき”
毛皮でできており、武将が馬で戦場や山野を駆けめぐる時に履いた。後に、あぶみを踏んで馬を操る時の必需品となった。


芸能・遊びとはきもの

芸能の世界・子供の世界

 伝統芸能でもある人形浄瑠璃や、楽しい娯楽であった大道芸などにも工夫したはきものがみられた。
 子供たちの遊びの中にも、それぞれ自分たちの手作りした竹馬や缶下駄などがあった。

【芸能のはきもの】

ブタイゲタ(舞台下駄)
人形浄瑠璃の舞台で、人形を遣う役者がはく。板を箱型に組み立ててあり、遣う人形の大きさによって高さが変わる。これは大阪の文楽のもので、滑らず音を立てないように、底に草鞋がつけてある。

道化師下駄
静岡県島田市に残るもので、大正4〜5年に、同市に来たサーカスの道化師が綱渡りの時に使用した。10数メートルの綱の上で、赤布を付けた高さ50センチの下駄を履いての綱渡りが行われた。

【遊びのはきもの】

筒下駄
木筒や空缶などの筒状のものや貝殻に、手綱や鼻緒を付けたもので、総称して筒下駄という。子供たちが履いて遊んだもので、足や足指の動きを活発にする、発育によい遊びであった。

下駄スケート
下駄の底に金具を付けたスケートで、明治10年にアメリカ人ブルックスが伝えた洋式のスケート靴にヒントをえて作られた。これは長野県諏訪市のもので、明治時代にはスケート大会でも用いられた。

水かき下駄
伊賀流の忍者が川や堀を泳ぎ渡る時に用いたという。潜水用の足ひれにあたる。三重県上野市に伝わるものの複製である。


世界のはきもの

世界のはきもの―民族

 世界には、その気候や風土により、また民族により、素材や形の異なるさまざまなはきものがみられる。
 寒い地方の狩猟民族は、足を包み込んで保護する閉塞的なはきものを用い、暖かい南方の農耕民族は足を露出させた開放的なはきものを履いてきた。
 ここでは、世界各国の特徴あるはきものを紹介している。

北米先住民族のモカシン
柔らかい鹿革などで作られた一枚革の靴で、美しいビーズ刺しゅうの飾りがある。刺しゅうのモチーフは部族による特徴がある。

インドの下駄
安定感のある歯をもつ台で、表には模様が描かれている。鼻緒は1本の紐である。東部地方で、シャワーを浴びる時などに履かれた。

スイスの毛皮靴
冬の防寒用に履かれた。グリンデルワルド村のものである。

オランダの木靴
木靴は、古くからヨーロッパ各国にあり、オランダではクロンプといわれた。結婚式では花嫁が履くものを、花婿が手作りして送ったという。フランスではサボとよばれている。

世界のはきもの―歴史

 古代エジプトに源をはっした文明の発達は、衣装や靴にも地位を誇示し権威を象徴することを求めてきた。そのため、形やデザイン・素材に時代の最も 新しい技術が取り入れられ開発されてきた。
 ヨーロッパの文化に育まれた豊かなファッションの歴史の中で変化し発達してきた衣装と靴の変遷を見ていただきたい。

エジプト
BC30〜4世紀

ギリシア・ローマ
BC11〜AD5世紀

ルネッサンス
15〜16世紀

バロック
17世紀

ロココ
18世紀

バッスル
1870〜1890年

アール・ヌーボー
1890〜1910年

アール・デコ
1920〜1930年


宇宙のはきもの

1969年、アメリカは人類初の月着陸船「アポロ11号」を打ち上げ、月に人類の第一歩を印した。そのとき履かれた靴は、最新の技術を駆使した素材を用いたものであった。


3号館展示室
栄光のはきもの・塩づくりと下駄づくり

記録を打ちたてた人々の栄光を伝えるはきもの

 人々の生活行動は非常に広い分野にわたっている。そして、いずれも、その活動は足によって支えられている。その足の動きを助け、保護するのが「はきもの」である。
スポーツや芸術・芸能など、研鑚“けんさん”をかさね記録を達成した人達の「栄光のあかし」は、「はきもの」にも写しだされている。
昭和26年に、日本人として初めてボストン・マラソンで優勝し、その頃の世相に光をあたえた田中茂樹選手の「マラソンの足袋」をはじめとして、高橋尚子選 手の「ジョギングシューズ」など、時代を代表し期待をになった、さまざなま「はきもの」をみていただきたい。

イチロー選手のスパイクシューズ
外野手。米大リーグ・シアトルマリナーズ在籍中。球団初の日本一に輝いた平成7年に使用。本名、鈴木一朗。

室伏広治選手のスローイングシューズ
ハンマー投げ。平成12年81メートル08の日本新記録達成。同年4月の織田記念陸上で履いたもの。サイズ29。

王 貞治さんのスパイクシューズ
読売ジャイアンツ内野手時のもの。昭和52年9月、通算756号ホームランの世界記録を達成。

伊藤みどりさんのスケートシューズ
昭和64年パリ世界選手権で日本初の金メダル獲得時に使用。平成4年アルベールビルオリンピックで銀メダル獲得。


松永の塩と下駄の歴史を語る産業遺産

塩から下駄の町へ

  「松永の下駄」の発生は「松永の塩」と深く関わっている。山陰地方へ塩を運ぶ船は、海水を濃縮したかん水を煮つめるための薪を積んで帰る。その中に軽くて 加工しやすいアブラギがあった。アブラギは桐によく似た素材で、明治11年(1878年)に桐下駄製造小売業を開業していた丸山茂助は、これに注目して、 安価な下駄の生産にのりだした。