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金江小学校には、ギューリック3世がおくってくれたコーラちゃんがいます。コーラちゃんは、4人姉妹です。はきもの博物館には、コーラちゃんの姉妹のエレナちゃんがいます。なぜ、日本に青い目の人形がおくられてきたかというと、ギューリックさんは日本に住んでいたのですが、アメリカに帰らなくてはいけなくなりました。この頃の時代にはよく戦争をしていました。ギューリックさんは日本人が大好きだったので、アメリカと日本は仲良くしたいと思ったので、ギューリックさんはみんなに、「友情のあかしに日本に人形を送ろう。」と呼びかけました。みんなもギューリックさんの呼びかけを受け入れました。人形には手作りの洋服とパスポートをもたせました。人形の種類には「ママ」と泣いたり、人形の角度によって目を閉じる人形もいました。日本では、青い目の人形のかんげい式をしました。日本の子どもたちは人形が「ママ」と泣いたり、目を閉じたりあけたりするのにびっくりしたそうです。しかし、日本とアメリカも戦争をはじめました。青い目の人形は、いじめられたり、焼かれたり、やりでつかれたりしました。中には「人形には罪はない」と先生たちが、屋根裏にかくしたり、かべの中にかくしたり、押し入れの中にかくしました。でも、人形をかくしたりするとかくした人の首が飛ぶそうです。私だったら人形をかくしたりしなかったと思います。学校を建てかえる時に、屋根裏や押し入れから見つかったりするそうです。私は58体もの青い目の人形を見れてよかったと思います。中にはいじめられていたことがわかる人形もいました。そんな人形はすごく悲しそうな目をしていました。見つかった青い目の人形を大切にして欲しいです。 |
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私たちの学校には新青い目の人形のコーラちゃんがいます。私は青い目の人形についてあまり知りませんでした。それにどうして私たちの学校にコーラちゃんが送られてきたのが、なぜアメリカから人形が送られて来るのかと不思議に思っていました。疑問に思っている中で、今やっているはきもの博物館での青い目の人形展が見学できることになりました。それで私たちは少しこの青い目の人形について調べました。調べると、この人形たちは日米の友好にアメリカからきた友情人形で、シドニー・ルイス・ギューリックという宣教師さんが人形を送ったのがはじまりです。この当時、日本とアメリカはあまり仲良くなかったそうです。だからギューリックさんは、子どもから仲良くなろうということで、昭和2年にパスポートと洋服を着せて送りました。日本では、大かんげいを受け全国の学校に人形が送られました。そして、この金江小学校にも人形が来ていました。大事そうに抱いている女の子の写真が飾られていました。しかし、太平洋戦争で「敵国のスパイだ。」と言われ、この多くの人形は燃やされたり、いじめられたりして今は残っていません。この金江小学校の人形も残っていません。こんな戦争中に「かわいそうだ。」といって隠して保存していた人形が今日まで残ってこの人形展に来ました。私は見学して一つ気になった人形がいます。それは、名前も不明、顔はひびだらけの人形です。この人形は廊下に吊され通るたびにたたかれていた人形です。この人形をじっと見ていると悲しそうな目をして立っていました。私はこの人形を見るとかわいそうでたまりませんでした。私は見学を終える時に、どうして罪のない友情人形が焼かれたりしなければならないのかと思いました。だから今、新しい人形がまたおくられているけれど、こんなひどいことを二度としないようにして大切にかわいがってほしいです。 |
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青い目の人形は正式には友情の人形という。日本には青い目の人形は、一万体おくられてきた中で、広島には三二六体がおくられてきていた。広島の学校には二校に一体は人形がある。日本がアメリカにおくった人形は、当時最高の人形だったそうです。一体三五〇年で着物が五〇円だったそうです。戦争が始まり、子どもたちに聞いたことは、はかいが八十九人、やいてしまうが百三十三人、おくりかえすが四十四人、目のつくところにおいて毎日いじめるが三十一人、白はたをかけておくが五人、米国のスパイと思って気をつけよが一人いたそうです。アメリカでは人形をこわしたりしなかったのに日本の人たちは心のせまい人たちだったのかなと思いました。人形の中には、いじめられて今にもこわれそうになっていたのでかわいそうでした。私たちの学校にも新青い目の人形コーラちゃんがいるのでいじめずにかわいがってあげたいです。日本人は心がせまい人たちが多かったけど、これからはアメリカの人たちのように心が広い人が多くなればいいと思います。 |
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私が通っている金江小学校には、「新青い目の人形コーラちゃん」がいます。コーラちゃんは、職員室の前にいつもすわっています。私は、「青い目の人形」展があると聞いて、一つ疑問に思う事がありました。それは、どうしてコーラちゃんも青い目の人形なのに展示されないのかということです。私はこの事を疑問に思いながら、青い目の人形展を見に行きました。青い目の人形展では、はじめに「青い目の人形」と「新青い目の人形」があるということを教えてくれました。人形展の人は私たちにどうしてコーラちゃんが展示されなかったのかを話してくれました。すると、コーラちゃんは「新青い目の人形」で、「青い目の人形」を送ってきたギューリックさんの孫が送ってきた人形だということがわかりました。他にはじめて知った事がもう一つあります。お人形が発見された場所です。展示されていた青い目の人形は、全てたなや倉庫から発見されました。戦時中にこわされそうになっていた人形たちをかくしたそうです。人形展にいってびっくりしたことは二つあります。一つ目は一体のお人形さんが傷だらけになっていて、手に包帯をしていたことです。学校の廊下につるし、通るごとにたたいていたそうです。二つ目は、私たちの学校にいる「コーラちゃん」の姉妹がいたことです。その人形は「エレナ」といってコーラちゃんにそっくりだったのでびっくりしました。家に帰ると家族に今日教えてもらったことを教えてあげました。これからは、たくさんの人に、青い目の人形について教えてあげたいです。 |
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私は、総合学習の勉強で松永にあるはきもの博物館へ行きました。そこで見たものは、全国から集められた五十八体の青い目の人形です。その青い目の人形の中には、まだパスポートを持った人形もいました。そのパスポートに書かれていたことは、人形の名前、出身地、髪の毛の色などが書かれていました。その人形は、「フレンドシップドール」といい、日本では「友情人形」と人々にしたわれていたそうです。私は人形を見ているとその当時の新聞を見つけました。その内容は、自分だったら青い目の人形をどうするという内容でした。その多くの答えは、焼いてしまえでした。私はいくら戦争中でも人形までぎせいにならなくてもいいのにと思いました。もし、私がその当時にいれば、たぶん人形をこわすのをかばっていたと思います。私はそんなことを思いながら人形を見ていると目につく一つの人形を見つけました。その人形は、鳥取県米子市にある名前不明の人形です。その人形は話によると、戦争中は学校の廊下につるされていたそうです。私はその人形をよく見ると顔にはひびが入っていて指はボロボロで折れていて、うでもボロボロで包帯がまいてあるそうです。私はその人形をじっと見ていると悲しい顔をしていてこっちまでとても悲しくなります。私はこの勉強をして戦争は人だけでなく何の関係もない人形までまきこまれてしまうということや、人形にはなんの罪もないとわかっていて人形をかばう人のやさしさを学んだと思います。この先、全国の人形がどこかへ集められるならぜひまた行ってみたいです。 |
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人形展に行った時、五十二体もあったのですごいと思いました。一番印象にのこった人形はジェーン・ハイランドです。平野小学校で再発見された時、元さいほう室と床の間のカベからでてきたのは、おどろきました。理由は頭にバンダナをつけてかっこよかったし、むねにアクセサリーをつけていてとてもかっこよかったです。ジェーン・ハイランドは所在地が滋賀県大津市にあるので遠いなぁと思いました。また総合活動でまだ活動しているので安心しました。二番目は所在地が鳥取県米子市にある名前不明の人形です。この人形は戦争中に竹やりでつかれたりしていたのでかわいそうだと思いました。体もぼろぼろで全体がひびがありました。包帯をまいていたりしていました。所蔵が個人でした。友情人形を個人で持っているなんてすごいとおもいました。でも人形に男がいないので残念でした。ぼくの小学校のドリス・ブリザント・ブリーズは中でもドイツ製だったのでおどろきました。そういえば他の人形よりも顔がきれいだなぁと思いました。他の学校の人たちもドリスのことをきに入ってもらっていたのでうれしかったです。 |
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外国の人々が日本の子どもたちに送って来てくれた人形を、私たち日本人がそのかわいいお人形をボロボロになるまで苦しめたという事を、私はすごく悲しく思います。お人形には罪はないのに、敵国からのおくり物だからといってきずつけた。私はしんじられません。青い目の人形展を見てそう思いました。顔がきずだらけで、今にも泣き出しそうでした。それから、見学をしていた時、私はあるお人形の声が聞こえたようなきがしました。「いたいよー。苦しいよー。」そう私には聞こえました。ふっとその人形を見ると、お人形の目には、なみだがあふれていました。顔にも体にもきずがあって、私はそのお人形を見てすごく悲しく思いました。私たち5年生は、青い目の勉強をしていたけれども、青い目の人形は、どんなかんじのお人形が多いのかを知りませんでした。でも、この青い目の人形展を見て、日本人によってきずついた人形が多い事を知りました。それを知ったときは、悲しかったです。でも、私はこの人形展に行ってよかったと思います。だって、人形と話ができたし、青い目の人形のことをもっと知ることができたからです。人形展では、ドリスちゃんはもてもてだったらしいのでよかったです。今度の人形展にも、ぜひ行きたいので、そのときは、またよろしくおねがいします。見学たのしかったです。ありがとうございました。 |
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いろんな青い目の人形を見せてくれてありがとうございました。ぼくの一番心に残ったのは、レベッカという名前の赤ちゃんの人形でした。ほとんどの人形は、赤ちゃんのような人形じゃあなかったからそこが心に残りました。ぼくの二番目に心に残った人形は、名前はふめいだけど、いつも生徒にたたかれていた人形でした。そのいつもたたかれていた人形がぼくだったらすごくいたいんだろうなあと思いました。ぼくは、その人形がすごくかわしそうだなあと思いました。ぼくは、こんなに人形をあつめてすごいなあと思いました。ぼくたちはの学校にいるドリスちゃんだけほかの人形とちがって焼いてできているってことを聞いてびっくりしました。ドリスちゃんは、すごいんだなあと思いました。まだ、ぼくたちの学校にはベティーがいて、ドリスちゃんのようにかわいいです。ばくは、また家族といっしょにきて人形を見たいです。ドリスちゃんが見つかった時は、手と足がばらばら出てきたことを聞いてびっくりしました。ぼくはドリスちゃんの手と足をつなげてドリスちゃんができたんだなあと思いました。 |
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ぼくは、青い目の人形を見て思いました。全部が、全部、青い目をしていなかったから、ふしぎに思いました。それからずーと話を聞いていると、だんだんわかってきました。ずーと見ていると、ドリスが、いちばんきれいに見えました。やっぱし、浦崎小学校は、ドリスのことを大切にしていることが、すごくわかりました。ぼくが、一番きにいった、人形は、「レベッカ」という赤ちゃんでした。ぽちゃーんとしていて、顔もピンクのように、なっているところが、かわいいと思いました。もう一つきにいった、人形は、・・・「マーシャル・セントラル」です。その人形は、やけにふとっていて、肉が、ついているのを見てきにいりました。もし人形でははく、人間だったらほっぺたを、指で、なすって見たいと思いました。でもなかには、顔にひびが入っている人形もいました。ぼくの目とあったしゅんかん「助けて」というような感じがしました。 |
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外国の人々は、日本に何百体もの人形を送って来てくれたのに、今は、三百体くらいしかないから、こわされたりした人形は、とても悲しんだと思います。私の家にも、アメリカの人形があります。それは、私の父の姉が、妹か弟がほしいといって、私のおばあちゃんに買ってもらった人形だといっていました。父とは、八才も年がはなれているからです。おばあちゃんにきくと、名前は、ナツミ。私は、小さいころからなっちゃんとよんできます。お店のげんていだったと聞きました。今は、私のへやのおし入れの中にしまってあります。おし入れをあけるとき、いつもなっちゃんが笑っているようでとてもかわいいです。人形展へ行っても、なんとなく人形の気持ちがわかるような気がしました。鳥取県米子市の不明の人形、いくら戦争している相手の国の人形でも、あそこまでいじめるのはかわいそうな気がしました。戦争の時代がすごくいやで、こんなにいじめたのかなと思いました。やっぱり戦争はこわいなと思いました。いつも、じゅくの行き帰りに、はきもの博物館の前を通って、いつも、母と、ドリスちゃん今日も元気かな?いろいろな人に見てもらったかな?といつも車の中でいっています。早く帰ってこないかなと思います。でも、いろんな人にドリスちゃんは見てもらった方が嬉しいと思います。私はやっぱりアメリカの人形たちは、かわいいなと思いました。結城明照保育園のレベッカがかわいくて、一番心に残りました。 |