洋靴製造のはじまり

明 治3年(1870)、西村勝三が東京築地に開いた伊勢勝造靴場が、日本で最初の製靴工場である。軍備の近代化を計っていた大村益次郎の勧めによるもので、 軍靴づくりからスタートした。オランダ人レマルシャンなどの外国人の指導を受けるなど、技術の向上につとめるが、順風とはなかなかいかず、伊勢勝も合併で 櫻組と改称するなど紆余曲折があった。この時代から今に続くのは、明治5年開業の大塚製靴Mのみである。

資料紹介

「櫻組カタログ」表紙

製品の図
製品の値段表
明治30年、米10キロが1円20銭(『値段史年表』朝日新聞社)23円から2円とか50銭まで幅はあるが、靴は高価であった。

「鞆絵屋カタログ」の靴

鞆絵屋は「舶来の鞄・靴」商として、民間を対象に開業した。36年にはアメリカからマッケイ式機械を輸入して製造販売を始めるが、時期尚早もあり、日露戦争後の恐慌で倒産する。

「櫻組カタログ」「鞆絵屋カタログ」はともに稲川実氏所蔵。恐らく唯一残ったと思われる貴重な資料。

大塚商店「製造販売品定価表」(明治40年)より

大塚製靴M所蔵

【プラス一言】江 戸時代までの日本人は「なんば歩き」をしていたようです。「なんば歩き」って何?でしょうが、手足を右・左揃えて出す歩き方というと分かるでしょうか。子 どもの頃、運動会などで緊張のあまり・・・という姿もありました。明治になって右左交互に出すようになっていくのは、西洋式の軍事訓練を通してといいま す。こちらは、いわば「靴式歩行」でしょうか。


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