明治の世相とはきもの

文 明開化・洋風化が喧伝されたとはいえ、明治はまだ江戸の風俗を色濃く残していた。政治家や役人を除くと、着物を着て下駄や草履を履く人が大勢であった。た だ、西洋文化の流入は裸足を否定した。そのために、誰も履ける実用的なはきものが普及していく。雑木の下駄や麻裏や板裏の草履が日常履きとなった。板裏草 履は、5枚の板切れを並べて付けたものになり、一足で切り目が8カ所になることから八割(ヤツワリ)とよばれた。

資料紹介

漆塗り竹皮表付の小町下駄

裏に編んだ麻縄を付けた麻裏草履

裏に5枚の板切れを付けた八割
※麻裏草履と八割は参考品

明治34年5月31日付の読売新聞

読売新聞載った裸足禁止令の記事

「跣足禁止令出づ」昨日警視庁令第41号を以て左の如く発布せり。 ペスト予防の為め東京市内に於ては住屋内を除く外跣足にて歩行することを禁ず本令に違背したる者は刑法第426條第4号に依り拘留又は科料に処す 

【プラス一言】新聞にも「ペスト菌の侵入を防ぐのみならず、風俗取締上に於いても是又必要なるが為」と続くように、確かにペストの大流行はあったが、それを防ぐより、国際都市東京の体面のためと思われる。ただ、このために、はきものを履くことが常態になったのは確かだろう。


次へ or トップへ戻る